対話と川

【今日のひとこと】 2015年2月16日

(山邊恵介・5期塾生)

みなさん、こんにちは。五期塾生の山邊です。

今年は春季総会・同窓会が一年ぶりに開催されるということで、九州の西の端に住む私は、まるで早めに桜が咲いたかのように喜んでいます。友人達との再会が楽しみです。

私は、現在、地元で革製品のメンテナンス業をしています。
来月でちょうど開店から1年になる、まだまだ小さな店ですが、私の大事なもののひとつです。進学校を退学後、紆余曲折を経て開店したわけですが、学んだことがひとつあります。それは人間関係とか、商いとか、学校生活において「討論より対話」であるということです。

討論は英訳するとディベート、対話はダイアローグとなります。
討論はどちらが正しいかを決める手段ですが、対話は新しい価値観を作る手段です。

例えば、「キムチ鍋が食べたい!」という人と、「水炊きが食べたい!」という人がいたとします。この二人が「討論」した場合、どちらかは自分が好きなものとは違うものを食べる、もしくは、「ならいらない!」とすねて、一晩おなかをすかせるかのどちらかです。

でも、二人が「対話」をした場合、鍋の真ん中に仕切り板を立てて半分ずつ作って、両方食べることが出来るかもしれません。(あくまで希望的観測です。)白か黒か、どちらかにすれば注ぐエネルギーは一方向で済みます。

川の流れと同じように、川が一本であれば流れる勢いは早い。しかし、水はひとつの場所にしか流れません。
ここで、一本細い「支流」を作り、川を2本にするとします。つまり、対話で二つの意見をちょっとずつ取るということですね。

川の勢いは、「真ん中」にぶつかることで半減します。(三角州ってやつですね。)
しかし2本に川が分かれたことで、今までは届けられなかった地域の人にも水が届くかもしれない。たとえ、「勢い」がなくなったとしても、「広い」ほうを取るのが良いこともあるでしょう。ある意味で、インターネットは「勢い」も「広さ」も両方取り合わせることが出来るものです。

そして、それは「はんらん」とか「だくりゅう」とか言うものかもしれません。傍から見ている分には「おぉ!」とか「うわぁ!」とかドキドキしながら見てられますけれど、でも、ひとたび巻き込まれれば、たぶんけっこうしんどいでしょう。そういう「はんらん」とか「だくりゅう」を巧みに乗りこなす人もいます。
私は、そういう人を「すごいなぁ」と思いますが、同時に「でもあれ、結構危ないぞ」とも思っています。それに、二本に分かれ「勢い」のなくなった川は、「つめたぃ!」とか言いながら、しじみをすくったりできるかもしれません。「勢い」がなくなっても、「水量」が減らなければいいのでは、とも思います。

対話の話をしていたのに、「川」の話になってしまいました。でも、「川」を「意見」とか「権利」とか、もしかしたら「お金」に変えても良いかもしれません。
そんなことを、ふっと思ったのでここに書きました。

インフルエンザなどが流行っています。身体にはくれぐれもお気をつけください。
春の東京で会いましょう。

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